今回は、四柱推命の流派についてお話ししたいと思います。
まず、四柱推命なんですが、この四柱推命と言う言葉は日本語です。
そのため、四柱推命をしてほしいと、中国、台湾に行っても四柱推命という看板を出して占いをしていることはないでしょう。(現地の人向けに)
では、中国や台湾では、どのような漢字になるのか?
例えば、子平、命理、命学、八字、こんな風に表現されることが多いです。
特に八字と子平は、台湾でよく見かけます。
八字は、パーツーと発音し、一番ポピュラーな四柱推命の中国語の読み方です。
もし、台湾に行くことがあれば覚えておいても良いかもしれません。
また、日本人観光客向けに四柱推命と看板しているところは、日本語が出来る占い師さんが居らっしゃったりします。
どうせなら、観光客向けの占いではなく、本場の占いを体験したいのであれば、八字等を掲げている占いに行くのも良いかもしれません。
四柱推命の歴史と本
四柱推命には、占い師のバイブルとも呼ばれる本が残っています。
淵海子平(えんかいしへい)
唐の時代に出来た大変古い本です。
徐子平(じょしへい)
徐大升という人が書いた本で、命学の基礎と評されています。
滴天髄(てきてんずい)
リュウキと言う人が書いたと言われている説もありますが、実は作者が分からないと言われている本です。1300年後半位には、存在していたと言われているような本です。
この三冊がバイブルと言われています。
本の歴史が示すように、700年前位には四柱推命は確立されて、学問として広がっていたことが分かります。
これら3冊の本は、占い師としては、押さえておかないといけないと言われるほど、読む本です。
日本に伝来した経緯
そんな四柱推命は、どのようにして日本に伝わったのでしょうか?
実は、江戸時代中期、長崎で医者をしていた桜田虎門と言う先生が淵海子平を読んで、衝撃を受けたのが始まりです。桜田虎門は、後に日本語に訳し推命書という名の本で日本に広めました。
これが四柱推命という学問が日本に広まった経緯です。
流派
四柱推命が日本に広まる過程で様々な流派に分かれていきました。
泰山流
泰山流は、阿部泰山という先生による流派です。
阿部泰山先生が京都の人だったこともあり、西日本を中心に広がりました。
高木流
高木流は、高木乗という先生による流派です。
高木乗先生が東京の人だったため、東日本を中心に流派を広げていきました。
武田流
武田流は、武田考玄先生が広めました。先生は、四柱推命を飽くまでも学問として広げたいという意思で流派を立ち上げました。元NHKのアナウンサーでテレビにもよく出ていらしていました。
小山内流
小山内流は、武田流と同じように、四柱推命を占いとしてではなく、学問として捉えています。小山内流の特徴は、干合や支合、三合など支で成り立つ変化は必要ないとする流派です。逆に何が必要かというと五合と通変星というシンプルな流派です。
透派
透派は、現在14代目の先生が台湾で広めています。
有名なのがこの5つの流派です。
私たち占い師は、「どの流派が正しいのですか?」とよく聞かれたりします。
しかしながら、私たちは、この質問に答えることができません。
なぜなら、どれも正しいからです。
真理は一つかもしれませんがアプローチがいろいろあるだけです。だからこそ様々な流派に分かれています。
アプローチというものは、よく宗教などにおいてもそうですが、「山の頂上までどの道を選んで歩むのか」ということです。歩きやすい道しか歩けない人も居るし、難しい登山コースでも歩いていける人がいます。何処の道がその人に合うかだけで、結果は一緒です。
なので、合う先生、合う流派に出会って、その先生にアドバイスを貰って頂上を目指す。その先生と引き寄せられるということもその人の運の強さだったりします。
終わりに
占いは決して、間違っているとか当たらないとかではなく、どのアプローチで自分の人生を見るのか?を考えることが大切です。
占い師自身もいろいろな学びを経てその中から取捨選択して、自分の道を作っていくことになると思っています。色んな流派の名前はあるけれど、実は占い師の数だけ流派はあるのではないかなと私は思っています。